FRUSTRATION

     姉もすなるといふブログというふものを
妹もしてみむとてするなり。 

    何から書こうかな、何から書き連ねようか。うん、まず私が過食(2018年6月後半~)
するようになったきっかけから書こうかな。

  それは、所謂テスト週間でした。焦り。

   まず第一にまぁまぁ勉強には力を入れてる学校に入った。
合格するとは思ってなかったがこの世には推薦入学とかいうものがあって、脳みそがヘリウムLvの私でも内申はある程度あったし、学級委員を務めていたこと、部活動で地域3位に入賞したこともあってか先生が部活動推薦を出してくれた。

     人と話すのは得意で特に推薦面接の自己アピールは褒められた。まあ今の高校に入る経緯はこのくらいにして。

    高校1年の時、勉強を放棄していた。私は小学校6年生の頃からウエディングプランナーになりたかった。私は結婚願望なんぞさらさらないが、76億の候補の中から1つだけ選び、その1つと今まで生きてきた人生以上の時間を過ごすという〝結婚〟というものに
ロマンを感じていた。
     中2のときに、父と母に本格的にウエディングプランナーになりたいと話した時、
真っ先に
「給料が低い」「そんなもの誰にでもなれる」
まあ、侮辱(?)されたわけだ。
私が社会科のテストがすこぶる良かったから
社会科の先生なろうかなぁと呟いた時は大喜びだったな。(安定した公務員になって欲しいオーラ半端なっ)

中三の冬、家の中の空気はもちろん〇〇高校だよな感(今通ってる高校)がぷんぷん漂ってた。私はもう少しランクを下げた△△高校1本で行きたかった。言い出せずにいた。

その時、姉が自殺未遂をした。

当時自分の携帯を持っていなかった私は母の携帯で友達と連絡を取っていた。
母と姉のトーク履歴が〝おかしい〟。
そう思って姉とのトーク画面を押してしまった。
そこにはもう、もうね、もうそれはそれは、
(語彙力www)長々と姉が母に対し送信した文字がずらっーーーと、並んでいたわけですよ。

母は一言。「ごめんね。」

白と黄緑の差w

母の携帯を勝手に見てしまったこと、姉がそのような状況に立っていた事、姉の文章はあまりにも悲惨(第三者から見て)でしたが、姉の言葉に同意する自分もいました。

母はだんだんと自炊が少なくなり、アルコール中毒気味に。
「今日は2本までだよ~」
優しく制限させることが精一杯でした。
父は単身赴任で同居していなかったし、
私は私で推薦に落ちたら、一般で受かるしかない状況・勉強のストレスから抜け出せずにいました。

ある日、英語の授業中に涙が流れてきました。先生の顔をまっすぐ見ながら、話聞いてるつもりでしたが、マッスグに、右目から涙が流れてきました。

学年主任に心配され、経緯を話しましたが、
大変だったね、の一言。あぁ、大変だったよ。

  そのまま推薦をもらい入学。
成績は下から2番目3番目。つねに劣等感を感じながら過ごす日々。
  高一の冬からかな、ダイエットを始めました。過酷に制限しているとは思いませんでしたが、あれが食べられない、kcalはなんだ、
勉強どころではありません。
   元々劣等感を感じやすい自分は学校にいるスタイルの良い子と自分を較べ、また頭脳の良い子と自分を較べ、刻刻と時間が過ぎるのを待つ。


    そうして今年の6月、過食が始まりました。

   炭水化物、餅、最終的にはふりかけや胡麻、味噌、醤油、ケチャップ、小麦粉、卵、パン粉、じゃがいも・さつまいもなど、苦しくなるまで詰め込む日々。

学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかったけれど、この家に【学校に行く子どもが普通】という概念がある以上、休みたいと言い出すことなど許されません。重い体を起こして
学校は、毎日通い続けています。
  体重は1ヶ月で4キロ増。
過食後は憂鬱になり、吐き気をが襲うけれども、吐くことは億劫で、臆病で、吐きはしませんでした。



    なんか長くなったので今日はここまで。
またPart2で語らせてくださーい。
(生きてたら)



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ぜひとんで、この方の記事よんでくだしゃい。